学校沿革史

  • M6.12.15
    高月に大円寺本堂を借用して篤潤学校開校。柏原,渡岸寺,宇根,落川,森本,高月の児童が通学。
  • M7
    馬上に己千学校開校。
  • M8
    東阿閉,西阿閉が連合して輓春学校を開校。その後,東阿閉の乃伎多学校と西阿閉の旭学校に分かれる。
  • M8.12.1
    学区制の定めに従い,篤潤学校から分離して柏原に心洗学校開校。柏原,渡岸寺,落川,森本の児童が通学。
  • M9.7.25
    落川,森本は滋賀県に学区の変更を申請して,心洗学校から分離し,再び篤潤学校に通学するようになる。
  • M10.1
    篤潤学校から分離して,宇根に宇根学校開校。
  • M10.11
    高月村藤町に篤潤学校二階建て新校舎完成。高月,落川,森本の児童が通学。
  • M12.10
    篤潤学校に板垣と正門が完成。
  • M18
    東阿閉の乃伎多学校と西阿閉の旭学校が合併し尋常科阿閉小学校誕生。
  • M19.9
    馬上の己千学校を廃し,簡易科宮前小学校を設置。
  • M19.11
    学制改正により尋常科3~4年間が義務制になる。これに伴い心洗学校,篤潤学校,宇根学校が廃校になり,尋常科高月小学校誕生。柏原,渡岸寺,宇根,落川,森本,高月の児童が通学。
  • M23.11.13
    10.30に教育勅語が発布され,謄本を拝受し式典を行う。
  • M25.11
    尋常科高月小学校の屋根瓦を総葺替えする。校舎の腰板と門柱も完成する。
  • M26.7.1
    南富永村と古保利村が学校組合を作る。これに伴い尋常科高月小学校が廃校となり,南富永村古保利村学校組合立高月尋常小学校誕生。尋常科阿閉小学校も廃校となり,阿閉尋常小学校となる。
  • M27.4.8
    高月尋常小学校北側へ二階建一棟を増築。天皇皇后両陛下御真影拝戴。式典を執り行う。
  • M27.10.1高月尋常小学校に2カ年の補習科を新設。男子9名,女子2名の進学生を迎える。
  • M.32.3
    就学率の低下により高月尋常小学校の補習科を廃止。
  • M.32
    馬上の宮前小学校を馬上尋常小学校に改称。
  • M34.3
    南富永村古保利村学校組合を解散。阿閉尋常小学校閉校。東阿閉の児童は高月尋常小学校へ,西阿閉の児童は古保利学校へ通うことになる。
  • M34.4
    高月尋常小学校に3年間の高等科を併置し,南富永村立高月尋常高等小学校に改称。南側へ二階建一棟を増築。1.2年生のみ冬期(1月8日~2月末)は東阿閉分教場(古保利学校)で学習する。
  • M35.4
    冬期は東阿閉分教場(古保利学校)で学習していた1.2年生も高月尋常小学校に通学するようになる。高等科が4年制になる。
  • M35.10.20
    児童数増大に伴い高月尋常高等小学校南北両校舎の袖部分に平屋校増築及び運動場を拡張。
  • M39.4
    馬上尋常小学校が北富永尋常高等小学校に合併。高月尋常高等小学校運動場を東へ大拡張。
  • M39.4.15
    七郷,古保利,富永,高月の4校が参加して,井口神社境内で連合大運動会が行われる。
  • M39
    高月尋常高等小学校敷地北西隅に日露戦没記念園を造園。高月尋常高等小学校が学校教育の普及とその成果により滋賀県から功労賞を授与される。
  • M41
    尋常科が6年間の義務制に,高等科が2年制に改まる。
  • T4
    高月尋常高等小学校に実業補習学校を附設。
  • T7
    高月尋常高等小学校で野球の練習が始まる。湖北児童オリンピック陸上競技大会で総合成績最優秀。
  • T8
    毎日新聞社協賛の競技大会開催。高月尋常高等小学校の斉田弘之さんが7種目で優勝。古保利小学校優勝旗争奪戦でも優勝する。郡内随一のスポーツ校として名を馳せる。
  • T11
    高月尋常高等小学校に講堂兼雨天体操場を増築。
  • T11
    川隅信三校長により校歌の歌詞を一部修正。
  • T12.11.3
    高月尋常高等小学校の南校舎袖部分を増改築。